大阪高等裁判所 昭和40年(ネ)674号 判決 1968年6月27日
控訴人
柿田武重
代理人
金子新一
金子光一
被控訴人
株式会社神戸銀行
代理人
河合伸一
同
岸田功
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
被控訴銀行に対し、昭和三四年一二月七日、柿田武重・同健一・同義雄名義で各三〇万円宛、同昌子名義で一〇万円、以上四口計一〇〇万円の定期預金(期間一年、利息年六分)が為されたこと、及び同銀行が同日その旨を記載した預金証書四通を発行したことは、争いがない。
そこで右預金の預金者について判断するに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。即ち、
控訴人は、松江市において菓子問屋を営み、かねて訴外新高製菓株式会社(本社大阪府吹田市)と取引のあつたものであるが、税金等の関係上大阪方面の銀行に定期預金をしようと考え、右訴外会社の山陰地方担当者たる浦上彦に対し、昭和三四年春頃より、現金を交付し、(一)預金は一口三〇万円以内で行うこと、(二)名義は一応柿田姓とするが名の部分や住所の表示は然るべく行うこと、但し控訴人の預金であることが判明しないように配慮する、(三)印章の関係は、銀行の印鑑届用紙に控訴人の実印を押捺提出して処理すること、(四)預金証書は直ちに控訴人に交付すること等を約して、これが預金方を依頼した。そこで右浦上は、訴外会社の社長であつた森健太郎と相談し、控訴人より預かつた現金を大阪府下等の数銀行に預金したのであるが、被控訴銀行については、その吹田支店に対し、先ず昭和三四年五月二日、柿田武重・同栄子・同洋子・同宏太郎・同肇の五名名義(柿田歳重・同肇を除き仮空名義、また住所はいずれも吹田市千里山)による五口計一五〇万円の定期預金をなし、次いで同月九日、柿田エミ・同武義名義(いずれも仮空名義、住所前同)の二口計六〇万円、更に同年一二月七日、前記四名名義(柿田武重の外仮空名義、住所同)前の四口計一〇〇万円(本件分)の各定期預金を為したものであるところ、右各預金手続に際しては、その都度、銀行の印鑑届用紙を控訴人方に送付してこれが押印をうけ、現金と共に森健太郎が被控訴銀行吹田支店に持参して手続をとり、その預金証書は直ちに浦上を通じて控訴人に交付されていた。
ところで他方、右訴外会社は、かねてより被控訴銀行と取引関係にあり、同会社自体の定期預金などを担保として手形貸付等を受けていたが、同銀行吹田支店の貸付係井口郁は昭和三三年秋頃より社長の森健太郎に対し、右訴外会社との関係を益々密接にし且つ右貸付に対する担保を更に強化するため、右社長たる森個人の定期預金が為されるよう度々勧誘催促していたところ、森は、翌三四年五月二日に至り、前叙のように控訴人の預金を代行するため同支店に赴いた際、右井口に対し、自己が預金者であるとは明示しなかつたものの、「かねて云われていた定期預金を為す」旨申し述べ、名義につき前記のように五名の氏名を指定したが、その住所については銀行で適当に記載するよう依頼したので、右井口の意を受けた同支店定期預金の係員において右五名名義の各印鑑届の住所欄に前叙の如く各「吹田市千里山」と適宜記載した。森は、その後も同支店に対し、前記のように同月九日、同年一二月七日(本件分)と定期預金手続をとつたのであるが、その状況はいずれもほぼ前同様のものであつたところ、被控訴銀行としては、以上のような経過状況からして、右各預金は森個人のもので、仮空名義によるいわゆる裏預金であると信じ、これを、同銀行の訴外会社に対する貸付金の参考預金として扱つてきた。なおその後の経過として、右最終の預金の約一〇日後である同年一二月一七日頃、森は、被控訴銀行に対し、訴外会社に対する緊急の融資を申し込んだところ増担保の提供を求められ、遂に同人は右各預金が自己のものであると称し、これを担保しようとしたが、預金証書も印章も提出できず、また同人の所持する森の印章では前叙印鑑届の「柿田」の印影とも異るので担保差入証を入れることすらできなかつたが、銀行側もこの点は殆んど追求せず、只同人より、「訴外会社が同銀行よりの貸付金の返済を怠つた場合、右各預金が右貸付金との相殺の用に供されても異議がない」旨の念書を差し入れさせただけで、金一〇〇万円余を融資した。ところが訴外会社は、右金員は約一月後に返済したものの、その頃より経営状態が悪化し、昭和三五年八月中旬遂に倒産したので、被控訴銀行は、右念書に基き、同月二〇日、訴外会社に対する手形貸付金計四九〇万円と上記各定期預金(本件分を含め計三一〇万円)とを対当額で相殺決済する旨の処置を執つたものである。
以上の事実が認められ、<証拠説明省略>。
ところで、銀行預金の預金者(預金債権者)の決定については、当事者間に争のない場合及び他人の金員を横領した者がこれを自己のものとして預金したような場合を除き、これを、主として実質的客観的見地から考察する立場と、主として外形的主観的見地から考察する立場とが考えられる。いずれにしても、一般に銀行預金債権は、法律的には指名債権と解される以上、証券(預金証書)の所持は、それ自体権利を表象せず、一応これを離れて権利の帰属関係を判定すべきであるが、銀行預金のうち無記名式(又は特別)定期預金にあつては、それが元来預金者の氏名を特定しない建前のものである以上、その預金者の決定については金員の出捐関係等から実質的客観的にこれを探究するのを本則とすべく、しかも右預金が届出印章と証書所持とによつて特定され保護されている面からみれば、右決定に際し印章及び証書所持の事実は極めて重要視されねばならないところと解せられる。しかし右と異り、本件の如き記名式定期預金の場合にあつては、元来その表示せられたところを通じて預金関係を特定する建前のものであるから、その預金者の認定についても、銀行取引の定型性及び契約解釈の一般的原則にかんがみ、先ず当該の名義人が重視され、これが他人名義、仮空名義、又は当該預金契約の合理的解釈上右と同一視し得る如き場合(単なる形式的名義人の場合)等には、当該金員の預入行為者の言動等その明示又は黙示の表示とこれに対する受入銀行の認識とを総合し、主として外形的主観的見地からこれを考察決定すべく、金員の実際の出捐関係、預金証書及び印章の所持状況等の実質関係は、右表示ないし認識に対する解釈評価のうえで意味を有することになるものと解するのが相当である。(このように解することは、真実の預金者の権利保護に欠けるかも知れない。しかし、元来そのような者は、無記名式預金の選択、又は預金名義の表示ないし代理人・使者の選定への注意、銀行への通知等自己の権利を保全する方途を講ずべきものであつて、これらを怠つた以上、前叙のように当該預金債権者たる地位を取得し得ない場合があるとしても止むを得ないものといわなければならず、その処理はいわば内部関係に属する右の者と預入行為者との間で決済すべきものというのが相当である。又銀行預金のもつ証券債権的側面に着目しても、その預金の支払(弁済)等の場合はともかく、当該預金契約の成立に関しては、無記名式預金以外の場合、必ずしもこれを重視し得ざることは前叙のとおりであるから、当該預金証書の所持に重点を置かずに預金者を決定しても、銀行預金の性質に矛盾牴触するものとはいえない)。
いまこれを本件についてみるに、上記認定のとおり、本件預金の出捐者は控訴人であり、又右預金証書や印章も現に控訴人がこれを所持しており、訴外森健太郎は本来右控訴人の代理人ないし使者の立場にあつた者であるけれども、本件預金に関しその預金者につき表示せられたところを看ていくと、控訴人名義の分一口を除いて他の三口は仮空名義であり、又右控訴人名義の分もその住所の表示と併せるとむしろ仮空名義と評価せらるべく、姓がすべて控訴人と同姓の「柿田」であるという一事は右判断の妨げとなるものではない。しかして、前判示のとおり右預金の預入者たる森は、その当時これを横領する意思はなく、従つて自己を預金者とは明示しなかつたものの、昭和三四年五月二日の第一回預金の際「かねて云われていた定期預金を為す」旨を告げ、且つ柿田姓の五口の名義を示しながら「住所は銀行で適当に記載してくれ」と申し述べて、現金と印鑑届を提出し、以後五月九日の第二回分、一二月七日の第三回(本件)分もほぼ同様の状況にあつたのであるから、たとえ同人がその際右届出印鑑自体は所持していなかつたとしても、同人の右言動をその表示をとおして合理的に解釈すれば、本件預金の際、右森健太郎が右預金者である。即ち同人が右預金を支配する者である旨の表示が為されたものとみるのが相当である。しかも前叙のとおり、被控訴銀行としては、かねて森個人の定期預金の為されることを期待していたのであり、換言すれば同銀行としては、金員自体に重点を置き預金者は必ずしも何人たるかを問わない通常の預金ではなく(その場合には預入行為者の多少の言動にもかかわらず真の預金者と銀行の間に預金契約の成立を認め得る余地がある)、金員と共に或いは金員以上に預金者が何人たるかの人的要素に重点を置いた預金を期待していたところ、その森個人より上述の如き経過状況の下に定期預金を得たのであるから、これを同人の裏預金とみた同銀行の認識と森の前記表示とは一致し、即ち本件定期預金につき、右両者間に、客観的にはもとより、主観的にも合致(合意)が成立したものとみるのが相当である。
以上によれば、本件定期預金契約は、昭和三四年一二月七日、被控訴銀行と森健太郎間に成立したもの、換言すれば、右契約における預金債権者は右森と解すべきものである。(なお前認定のとおり、森がその後右預金を自己のものと明示したこと、ないしこれとは逆に、被控訴銀行のその際の相殺予約(前記念書の作成)及びこれに基くその後の相殺決済の手続に相当な手落ちが認められること等の事情は、右一二月七日の両者間の契約成立の判断に、別段の消長をもたらすものでないことは明らかである)。
果して然らば、本件定期預金の預金債権者が控訴人であることを前提とする控訴人の本件請求は、爾余の争点を判断するまでもなく、理由なきものに帰して棄却を免れないから、これと同旨に出た原判決は結局相当というべく、本件控訴は理由がないのでこれを棄却し、控訴費用は敗訴した控訴人の負担として、主文のとおり判決する。(入江菊之助 乾達彦 小谷卓男)